アンディ・ペトロの話
何年も前に体験した、ある出来事についてお話ししたいと思います。
あれは1955年、高校の卒業式を二日後に控えたある日のことでした。私たちのクラスは、近くの湖へピクニックに行こうということになりました。荷物をすっかり用意して出かけ、着いてみると、それは美しい夏の日でした。けれど水は冷たかった。ミシガンのことですから、湖の水はそうそう温まらないのです。
私たちは昼食をとり、ゲームをしたりして過ごしていました。すると突然、1500ヤードほど沖に浮かぶ浮き台の上に、何人かの友人の姿が見えたのです。彼らは私に向かって、こっちまで泳いで来いと手を振っていました。水が冷たすぎて、本当は入りたくなかったのですが、私は助走をつけて水へ飛び込みました。そして——やはり水は冷たかった。
浮き台へ向かって泳いでいき、ちょうど半分ほど来たところで、下腹部にひどい痙攣が起こり、足が動かせなくなりました。バシャバシャともがき、水を飲んで噎せ、気づけば水の中へ沈んでいました。どうすればいいのかわからず、私はパニックに陥りはじめました。こうして思い出して話しているだけで、言葉がつかえてしまうほどです。
すると突然、ふたたび水面に浮き上がり、頭が水の上に出ました。あたりを見回すと——浮き台の上の仲間たちが見えます。喉にも口にも水が入っていて叫べないので、私は手を振りました。すると彼らも振り返してくる。きっと何かの遊びだと思ったのでしょう。そして私はまた沈み、今度はもう浮き上がってきませんでした。冷たい。とにかく冷たい。激しく震えるほどの寒さでした。
深く、さらに深く沈んでいくにつれ、あたりは暗くなっていきます。やがて足に水草が触れるのを感じました。湖底の水草です。私はその中へ滑り込み、ついに底に着きました。それも、座ったような姿勢で。
そのとき私は、少し気が楽になったのです。この座った姿勢から地面を蹴って、もう一度水面まで上がれるはずだと思ったからです。ところが腕を下に突っぱねると、座っていたときよりもなお悪くなりました。今度は身動きがとれなくなってしまったのです。この瞬間、体じゅうが叫んでいました。私は死にかけている。ついに私は、自分が死ぬのだと認めました。
すると突然、頭の中に声が響いたのです。聞き覚えはあるのに、誰の声かはわからない。その声は言いました。「アンディ、少し休まなくてはいけないよ」。私は心の中で言い返しました。「何を馬鹿な。起き上がらなくちゃ。せめてひと息、空気が吸いたいんだ。それだけでいい」。すると声は言います。「アンディ、本当に休む必要があるんだ。だから力を抜いて、手放しなさい」。私は「そんなことできない」と答えました。
声はもう一度言いました。「手放しなさい」。そこで私は声に尋ねました。「わかった。でも約束してくれるか? 手放したら、ちゃんと水面まで上がれるって」。声は答えました。「手放せば、すべてうまくいく」。「本当に? 約束だぞ」。「ああ、約束する」。それで私は言いました。「わかった。手放すよ」。
そして「手放す」という言葉が心の中で形になったその瞬間、私は自分の体から抜け出していました。私が「時間のない一瞬」と呼ぶものの中で、ある時点では体の中にいて、次の時点ではトンネルの中にいたのです。トンネルへ移っていく過程の記憶はありません。今は体の中、次の瞬間にはもうトンネルの中、という具合でした。
トンネルの中で、私は温かく、幸せで、そしてまた呼吸ができました。喜びと、無条件の愛とで満たされていました。それはあまりにも鮮烈で、完全な恐怖から、時間のないわずかな間に、究極の歓喜へと一変したのです。私はただただ幸せでした。
下を見ると、一つの体が見えました。「おかしいな、さっきはあんなに暗かったのに見えるぞ」と思いながら目を凝らすと、なるほど、あれは私の体です。けれど、もうどうでもよかった。湖の底に横たわる自分の体を見たその瞬間、私は自分の命にも、地上にいることにも、何の未練も感じませんでした。なぜなら、ここが故郷なのだと、わかったからです。
それから私は反対の方を向きました。すると、一点の光が見えたのです。大きくはないのに、あまりに眩しく、本来なら網膜を焼いてしまうほどの光でした。「すごい、なんて明るい光だ。それなのに痛くない」。そう思った途端、私は巨大な磁石に引き寄せられるように感じました。その磁石はトンネルの中を私を引っぱっていき、光へと近づいていきます。
そして突然、また時間のない一瞬の中で、私はもうトンネルの中にはいませんでした。サッカー競技場ほどもある巨大な球体の、ちょうど真ん中に浮かんでいたのです。その球の内側、360度、見渡すかぎりに、小さな映写スクリーンが無数に並んでいました。そこには私のすべての人生、私がしてきたすべての出来事が映し出されていたのです。光は私のすぐそばにいました。姿は見えないけれど、確かにそこにいると感じられました。
光と私は、それらすべての人生の出来事について語りはじめました。私はそのすべてを見ることができ、何ひとつ混乱はありませんでした。すべてが理解できたのです。あらゆる生涯、自分のしてきたあらゆる行いが理解できました。どれか一つのスクリーンに意識を向けると、私はその場面を追体験しました。ただし今度の追体験は、相手の気持ちや、その場面で関わった人々に自分が与えた影響まで、ありありと感じながらのものでした。
たとえば家族と何かを話している場面なら、私が話している間に、彼らが何を考えているのかまでわかるのです。何も隠されておらず、何も知られないままではなく、すべてが透明でした。こうして私は、自分のさまざまな人生をめぐっていきました。女性であった生、ほかの惑星にいた生——次から次へと。
そこには何ヶ月もいたように感じられました。けれど当然ながら、地上の時間では、溺れていたのはせいぜい10分から15分の間です。そうでなければ、私はこうしてお話ししてはいないでしょう。
それらを眺めているうちに、ついにまた時間のない一瞬の中で、私は球体の中ではなく、ふたたびトンネルの中に戻っていました。今度は光のすぐ近くです。今パソコンの画面に向かっているくらいの距離まで、光に近づいていました。
そこに立っていると、光が言いました。「アンディ、私はおまえを愛している」。私は感心しました。光が私の名前を知っているのですから。すると光はこう言いました。「アンディ、私たちはおまえを愛している」。光が「私たち」と言った瞬間、背景も光も、すっと消えていきました。そして、私とまったく同じ無数の光が——何千、何百万、何兆という光が——そこに現れたのです。彼らは声を一つに合わせて言いました。「おかえり、アンディ」。その瞬間、私は光の中へと吸い込まれていきました。
私は光になりました。光より大きくもなく、光より小さくもない。私は光の、一片の、ホログラフィックな断片でした。それは人間として想像しうるかぎり、最も素晴らしい感覚で、とても言葉では言い表せません。
そしてその瞬間、私はすべてを知りました。「すべて、とはどういう意味か」と問われれば——文字どおり、すべてです。知らないことは何一つありませんでした。よく人にこう尋ねられます。「光の中にいたとき、戦争や平和について訊いてみなかったのか?」と。私は答えます。「いいえ、何も訊きませんでした」。質問する理由などなかったのです。すべてを知っていたのですから。知らないことなど、何一つなかったのです。
そうして私は光とともにありました。そして光は、実に愉快なのです。光は素晴らしいユーモアの感覚を、笑いと楽しさを持っていました。あの大きな球体の中で人生を振り返っていたとき、光はこう言ったものです。「アンディ、あんなことであれほど取り乱したじゃないか。なあ、長い目で見れば、あんなことは何の意味もないんだよ。どうしてもっと肩の力を抜かなかった? どうしてもっと気楽に構えなかった? 地上にいる間、どうしてもっと楽しまなかったんだ? どうせほんの短い間しかいないのに。だって、あれは本物じゃないんだから」。
地上の人生は本物ではない。一つの芝居のようなもの、一本の映画のようなものなのです。この惑星には80億の役者がいて、みなそれぞれの役を演じています。それぞれ違う衣装を着て、違う宗教、違う人種、違う性別——あらゆる違いをまとってやってきます。けれど衣装を脱ぎ捨て、芝居が終わって光のもとへ帰れば、その衣装は剥がれ落ちます。そして何がわかるか。私たちはみな一つなのです。みな同じ。同じものからできている。私とあなたの間に違いはありません。あなたと他の誰かの間にも、違いはないのです。
ここでは、私たちは違う者であるために、衣装をまとっています。光の中では味わえないことを、体験するためです。光の中では、すでに知っていることしか体験できません。私は「初めて言葉を話す」ことを体験できません。生まれてからずっと話してきたからです。けれど初めて言葉を発したとき、初めて二言三言を口にしたとき、それは私にとって本当にわくわくすることでした。光の中で「知っている」ことと、それを「体験する」ことは、まったく別のものなのです。
ですから、何かを体験するために——光はそう私に告げますし、私自身すべてを知っているのでわかっているのですが——私は自分の波動を下げます。誰もが自分だけの固有の波動を持っています。あなたと私が違うのは、それゆえです。私は波動を下げ、地球のような惑星に肉体を得て生まれることができるようにするのです。そうして人生を生き、さまざまなことを行い、体験したいと思うことを体験します。私が体験すれば、あなたも体験し、誰もが体験する。それが全体に寄与していくのです。一なるものは、ただ一つ。存在するすべて、かつて存在したすべて、これから存在するすべてが、その一なるものの中にあります。
それは素晴らしく、心躍る、途方もない体験です。私はその記憶を、「アンディ・ペトロ」という衣装をまといながら抱いています。ウクライナ系の血を引き、2022年のアメリカ合衆国に暮らす者として。私は自分の台本を読み、ここにいる間に演じるべきことを演じています。この役がこの物語を演じ終え、本来いるべき場所へ帰れるその時まで。
あの光の中にいたあの体験は、本当に信じがたいものでした。何年も、いや何百年もそこにいたように感じられました。けれど光の中には時間がなく、上下の序列もなく、裁きもなく、隔たりもありません。私たちはみな一つなのです。退屈でつまらない仕方でではなく、幸せで、心躍る、絶えず進化しつづける、常に新しい体験に満ちた仕方で、光の中で一つなのです。
すると突然、光が私に言いました。「アンディ、おまえは戻らなければならない」。私は言いました。「待ってくれ、嫌だ、嫌だ。人違いだ。私は戻らない」。光は二度目に言いました。「アンディ、おまえは戻る」。私は言いました。「私の言ったことが聞こえなかったのか? あの惑星に戻る理由などない。ここが私の故郷なんだ」。光は三度目に言いました。「アンディ、おまえは戻る」。
そして「戻る(back)」という言葉の、最後の「ク(k)」の音を聞いたその瞬間、私は自分の体の中へと押し戻されるのを感じました。これまで想像しうるかぎり、最も恐ろしい感覚でした。体を離れて光へ帰っていったときが、想像しうるかぎり最も心躍る体験だったのとは、ちょうど裏返しに。体に戻されるのは、これまで味わった中で最も恐ろしい体験でした。私はそこにいたくなかった。今でもここにいたくはありません。けれど、やるべきことをやっています。
そんな声を聞きながら、ふと気づくと私は砂の上に横たわっていました。うつ伏せで顔を横に向けられ、誰かが肺の水を出そうと胸を押している。CPRが普及するより前の、1950年代のことです。私は水を咳き込んで吐き出していました。
ところで、私は一度も意識を失っていません。これは、湖の底で体を離れたその瞬間から、湖畔の砂の上で体に戻ったその瞬間まで、途切れることのない一続きの流れなのです。空白の部分は一切ありませんでした。連続した意識の流れだったのです。
私の体はもう終わっていました。そこに横たわり、まさに魚の餌になろうとしていたのです。けれど私はそこにいませんでした。光の中にいたのです。誰かが体を見つけてくれたとき——誰が見つけたのかは知りませんし、どうでもよかった。自分の体になど関心がなかったからです。私が気にかけていたのは、ただ光の中にいることだけでした。
そして起き上がると、みんなが言いました。「ああ、アンディ! なあ、何があったんだ? 教えてくれよ、溺れるってどんな感じだった?」。私は答えました。「何も覚えてないんだ」。これが私の、生まれて初めての大きな嘘でした。「何も覚えてない。全部真っ白なんだ」。それは本当ではありませんでした。
今こうしてお話ししている鮮明な細部は、およそ70年も前に起きたことです。それでも、今こうして語っていると、1955年に湖の底で感じたのとまったく同じ感覚がよみがえってきます。私はこの体験を何千回となく追体験してきましたが、それは一度たりとも変わることがありません。光の中にいることの喜びと歓喜——それを表す言葉はありません。
そしていつか、誰もがそれを知ることになります。誰もがあの体験をするのですから。私たちはみなここへ来て、みな帰っていく。そしてそれを何度も何度も、さまざまな形で、さまざまな銀河で、さまざまな世界で繰り返すのです。それは終わることのない物語です。
起き上がったとき、私は心の中でこう思いました。「誰にも話せないな」。それから30年近く、私はこのことを誰にも語りませんでした。そもそも1955年には、私が体験したことを言い表す言葉さえなかったのです。「臨死体験(Near Death Experience)」という言葉が生まれたのは、1970年代後半、ムーディ博士がそう名づけ、NDE——Near Death Experience——として枠づけてからのことでした。
25年も経って、初めて彼の本を読んだのは、出張からの帰り道でした。『かいまみた死後の世界(Life After Life)』という本を見かけ、ふと買おうと思ったのです。中を開いて確かめもせず、ただ買ってコートのポケットに入れ、空港から家に帰りました。帰宅して夕食をとり、子どもたちも家族もみな寝静まったころ、私は言いました。「こんな本を見つけたんだ。これを読むから、みんなもう寝ていいよ。私も少ししたら寝るから」。そうしてクローゼットから本を取り出し、『かいまみた死後の世界』を読みはじめました。
私は一気に、朝の3時か4時まで読み通しました。どうしても本を置けなかったのです。涙が頬を伝っていました。これだけの時を経て、ようやく、自分は狂ってなどいなかったのだとわかったからです。忘れられないものを忘れようとし、覚えていることを誰にも話せずにいた——その頭の中の認知的不協和は、25年、30年にわたる、おそろしい歳月でした。
それが今、突然、自分は狂っていなかったのだとわかったのです。本当に自分が狂っていると思い込み、何もかもが意味をなさないと感じていたときに、「自分は狂っていない」と知ることができる——それは素晴らしい感覚でした。光の中で体験したことは、私が教わってきたこと、育てられてきたこととは、何一つ辻褄が合いませんでした。そのどれもが、私には意味をなさなかったのです。
それがついに、これは臨死体験なのだとわかった。そしてそれを受け入れると、さらに多くのことを思い出しはじめました。「ああ、そうだ。今ならわかる」と。
ですから私は今もなお、家へ帰るのを心待ちにしています。それが私の言いたいことのすべてです。私は故郷へ帰りたい。そしてそれは、明らかにもうすぐ起こるでしょう。それまでの間、私はできるかぎりのことをしています。何よりもまず、できるときにはいつでも喜びを感じること。
なぜ私がここにいるのかは、重要ではありません。重要なのは、私がここにいるということです。そして私が選んでいるのは、人々が自分自身についてより良く感じられるよう手助けすること、そして「帰る場所がある」のだと知ってもらうことです。私はそこへ行ったことがあり、いつでも帰る準備ができています。帰りのチケットは後ろのポケットに入れて、いつも持ち歩いているのです。便がいつ出るかわかり次第、私はそれに乗ります。さよならです。とにかく、私にとってはそういう意味なのです。
それはとても、とても幸せなプロセスです。私はただ、良い意味で待っています。故郷へ帰るのを待っているのです。それは私にはとても明白で、とても単純なことです。私は幸せでいるのが好きです。ふざけているのが好きです。喜びが好きです。なぜなら、あの光を思い出すとき、光は幸せな場所だったからです。光は喜びとユーモアに満ちていました。
私はよく、光は世界一のスタンダップコメディアンのようだ、と言います。なぜなら光は私に、ここにいる理由は喜びを体験するためだと教えてくれたからです。そしてそもそも誰もが存在しているのは、喜びそのものであるためなのだ、と。それはとても単純で、少しも複雑ではありません。憎しみではなく、愛を選ぶこと。それは一つの選択なのです。ここにいる間、私が努めているのは、できるかぎり多くの場合に、憎しみよりも愛を選ぶことです。
いつもそうできるわけではありません。私もみなと同じ、一人の人間ですから。けれど、できるかぎり多くの場合に、憎しみより愛を、怒るよりも微笑むことを選ぼうとしています。何も大げさなことではありません。誰かを幸せにする、ささやかな喜びの行いです。私たちはみな一つですから、私が誰かを幸せにすれば、それは私自身を幸せにします。誰かを憎めば、私は自分自身を憎んでいることになる。誰かを傷つければ、私は自分を傷つけている。隔たりはなく、序列もありません。私たちはみな一つであり、光の中で一つなのです。
私は光のホログラフィックな一片であり、その波動を十分に低くして、太陽系の、天の川銀河の、地球という惑星に生まれることができたのです。1937年から2022年という時の中で——そして今日この日に至るまで。それでいいのです。
これが私の物語であり、私はこの物語を貫いて生きていきます。
