筆者 Author

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カンボジアで描いたパステル画と水彩画です。


絵本のページで以前に制作した絵本を読むことが出来ます。

水彩画はこちらのページで見ることが出来ます。

大人になってからは、命脈をつなぐようにして絵を描くことを蓄積して来ました。それでも、年単位でまったく絵やアートから離れていたことも何度かありました。それはそれで、その時の自分は他のことをする必要があったのであり、そのような長い空白期も必要だったと思います。

ここからしばらくは、私と絵やアートの関わりについて書きますので、ご興味がある方はお読み下さい。少し長めになります。

 子供の頃から絵を描いていましたが、そのきっかけとなった1つの出来事がありました。私は5才で、祖父母の家に遊びに来ていて、保険会社の夏休みの絵の児童コンクールの、前年の表彰作品が載っていたパンフレットを見ました。それで何を描いたら表彰されるのかが、だいたい分かりました。笑 翌年にクレヨンで画用紙の真ん中に稚拙な大きな木と大きなカブトムシ、その横にカブトムシを捕まえようとしている網を持った男の子を描いて同じ賞に出したら銅賞になりました。笑

 その流れでしょうか、仙台で子供に絵や粘土などのアート教室をしている関口先生という女性の方がいまして、そのACCという子供のアート教室に行っていました。あまり何をしたかは覚えていないのですが、粘土や画材のアトリエの匂いは強く記憶に残っています。

 油絵を始めたのは小学校のクラブ活動で、油絵を選んだからだと思いますが、それが10歳の時でした。それから油絵を描くようになり、仙台の画家のおじさんおばさんがやっている油絵教室に行ったり、YMCAの油絵教室に行っていました。中学生の時は友達とバンドをやっていて、ベースをやっていたのでそちらの方が楽しく、絵より音楽をやっていました。
 
 高校になってから漠然とした進路を考えると、やはり美術系かなと思い高1の夏に仙台の美大予備校の講習に行き、それから基本的にはずっと通っていました。初め自分は結構描けると思って、初めて石膏デッサンをしたら全然で、自分で驚いた記憶があります。笑 初めは仙台の街中のところで、途中で長町にあるところに移って、あとは現役の受験までずっとそこに通っていました。先生や講師、同級生や先輩など、美術志望の人たちといるのは楽しかったなと今では思います。

現役のときはデザインと、武蔵野美術大学の映像科も受験をして落ちたのですが、映像化の試験が何かのお題に対して、4コマくらいの絵コンテを描いて、説明を書くという、今やっているマンガのような作業でした。それを添削してくれる人がいなかったのですが、高校の国語の先生が、先生になる前はポンキッキの制作をしていたそうで、その先生に見せに行って話をしていました。

浪人してから電撃的に建築に進路を変更しました。友人がたまたま持っていた安藤忠雄さんの建築作品の雑誌の特集で、太陽という雑誌だったのですが、モノクロでコンクリートの陰影の濃い、ミニマルで美しい写真に衝撃を受けまして、建築だ!となったのです。

東京の美大予備校で、水彩の建築写生と、あとはダンボールや硬い紙などで作る立体造形を沢山やりました。大きな画板を持って電車で都内の有名な建物や神社へ行って、鉛筆で線画、そのあとに水彩、最後に講評会という流れで、ずっとやっていました。

絵から来て建築に行ったのですが、大学ではどっぷり建築で、絵と自分との距離が最も遠くなっていたのが20代でした。もともと、かなり文系でアナログな人間で、その頃の建築科は図面は手書きとCADを両方やっていましたが、そのデジタル化もなかなか出来ずに、結局模型ばかり作っていました。

卒業後は都内の小さな建築設計事務所でいくつか働きましたが、仕事を辞めて27才のときにインドへ行ったのが、大人になってからまた絵を描き始めたきっかけになりました。インドからネパールへ行き、そこでタンカ絵という仏教の細密画と出会い、先生について教えてもらいながらポカラで3ヶ月ほど絵の制作をしました。それが、海外で絵を描くことの大きなスタートでした。

ネパールのポカラで描いたタンカ絵


それから数年後に、もう1度長い旅に出ました。初めはチベットを目指しました。チベットのあと、ネパール、インドで水彩の絵を、ものすごい久しぶりに好きに描くことを始めました。

インドで描いていた水彩画
インドで描いていた水彩画
インドで描いた水彩

それからまた数年後に、まとまった水彩画を描く機会がありまして、その時はタイやインドネシアなどで描きました。

インドネシアで描いた水彩画
インドネシアで描いた水彩画

30代の後半は、カンボジアでまた建築をやっていたのでアートや絵とはあまり密接ではありませんでしたが、海や島などに来たら絵の道具とスケッチブックを持って行き、絵を描いていました。

カンボジアの海で描いた水彩画
カンボジアで描いた水彩画

スケッチ、水彩などを描きながら、プノンペンのコンクリートジャングルのアパートに住んで、油絵をすごく久しぶりに描いていたこともありました。

その頃のカンポットでのスケッチ。
プノンペンで描いていた油絵

仕事は建築の設計でしたが、ものすごい大きな都市スケールの計画もやっていましたし、家具やこんな表札などのデザインを頼まれたりして、そのスケールの違いが面白かったです。アトリエ志向の日本人の建築家のおじさんと2人でやっていたのですが、その時の話は以前に書いた小説の第1章に書かれています。あれはどちらかというと創作ではなくて、半分本当の話です

2016年にそれまで住んでいたプノンペンからカンポットというところへ移りました。ずっとバイクや車の喧騒の中にいたので、久しぶりに自然の中に住んで、久しぶりに水彩で絵を描きました。それをもとにして絵本をつくりました。

ケップで描いた水彩画


2017年にカンボジアのカンポットで展覧会をやりまして、それが良いきっかけとなりました。そこでは主にカンボジアで描いた水彩画を展示して、絵本を作って英語版、フランス語版なども作ったりしました。その絵本はこのサイトでも見れますし、一応電子書籍でAmazonのキンドルで出しています。

展覧会の様子。Bookish Bazaarというカフェ

こちらはアマゾンで販売している絵本のリンクです。

展覧会の流れで水彩画のワークショップもいくつかやりました。

ワークショップのフライヤー

その頃諸々忙しく、1才半くらいだった娘のことを描いていないことに気づき、せっかくなので沢山描いておこうと、寝相シリーズを描いていました。またそれを元にして、同じ絵をデジタルでイラストにして描くこともしていました。この時に初めてちゃんとデジタルで、ペンタブを使って絵を描くことをいろいろやり始めました。

娘の寝相スケッチ
スケッチをもとにして描いたデジタル絵のイラスト

その後、2018年から2019年の年末までの約2年間ほど、空白期がありました。それはそれで自然に起こることで、流れや環境と密接に関係しているように思います。それが2019年の年末くらいから、また何かの変化が起こっていました。

久しぶりに新たにペンタブを買い、すぐに2020年になり、あれこれと試行錯誤しながら今に至ります。

2020年の春夏と、コロナ騒動が本格化していく中で、誰もが経験したことがない初めての状況になりました。正直、私もこんな時に、何を描いたら良いのかと思うこともあります。しかし、あまり考え過ぎるのは良くないですから、出来るならリラックスして良い直感に従って描いていきたいなと思っています。

描いていく中で、偶然に生まれる絵も沢山ありますし、何かをすることでそれが呼び水になって次に繋がることもありますので、そういう意味でも手を動かしてあまり特定のスタイルにこだわらず、様々なスタイル、描き方で描いて行きたいと思っています。

最後に、2017年から2018年の頃にかけて書いた小説をこちらのページで読むことが出来ますので、興味がある方は読んでみて下さい。今はそちらを少しずつイラスト化して行くプロジェクトも進行中です。

マンガやイラストの制作を承っておりますので、ご希望の方がいましたら下のお問い合わせか、Instagram、Facebook、TwitterのDMでお願い致します。

最後まで読んで頂きまして、どうもありがとうございました。

青栁 宏圖