送信完了

2016年から2018年ころにかけて書いた「送信完了」という小説です。

昔から、1つくらいは小説を書いてみたいなと長年思っていました。そしてこれが始まり、絵や建築や音楽と同じように、まず書きたい何かがあり、小説や脚本の書き方を学びながら、何十回と推敲して書いていきました。終わりのない作業のようで、言葉はこれで完成という感覚になることが程遠く、読めば必ず直したくなる箇所が出現し、思っていた以上に長い期間が掛かりました。

それでは、お楽しみ下さい。

 目覚まし時計が鳴っている。朝6時10分、シンジは隣に寝ているミカを見た。彼女はまだ、目を閉じて静かに眠っている。今朝は早くから仕事の打ち合わせがある。目を閉じると、奥の方に鈍い疲れを感じた。この仕事も、そんなに続けられるものじゃないな、シンジはそう思いながらベッドから起き上がり、キッチンへ行ってコーヒーを淹れた。

 着信音が鳴り、出るとワタベの声がした。ネットでの打ち合わせなので気は楽だった。彼は出張で地球の反対側にいて、時差は­ちょうど12時間だった。

「おはよう。そっちはまだ早いね」

「さっき起きたばかりです」

「朝早くから申し訳ない。早速先日の続きだけど、一緒にチェックしてみようか」

 そう言って2人は、ヘッドセットを装着した。そこには2人が設計しているテーマパークが広がっていた。前方に拡がる空間を見ると、シンジはまた目の奥にまた少しの痛みを感じた。シンジは30代の半ばだった。ミカはシンジより3つ年下で、一緒に暮らして5年になる。

 テーマパークのプロジェクトは始まったばかりで、今は基本計画の段階だった。アトラクションもあれば、お化け屋敷もあり、カジノもある複合施設だった。人々はヘッドセットを装着して、そこで遊ぶことも出来るし、身体を動かしてスポーツをすることも、カジノでお金を賭けることも出来た。今は基本設計の段階で、ここからそれぞれの施設をデザインして行く予定だった。

「湖の廻りを走る路面電車を作りたいね。ヨーロッパのトラムみたいなのが、湖面に映りながら走って行くんだ。それに乗ってこの敷地を廻ることも出来るし、子供も喜ぶと思うよ」

 それはワタベが前からこだわっている案だった。しかし、先日社長からやんわりと却下されたのだった。

「電車が空中に飛んで行って、ゲームになっているのはどうですかね?」シンジは考えていたアイデアを話した。「空中に基地かお城があって、そこに飛んで行くまでの間にポイントが獲得出来たり、敵がいるゲームにするというのはどうでしょうね?」

 ワタベは眉間に皺を寄せ、タバコに火を点けた。ヘビースモーカーで、何か良いアイデアがないかと探す時には必ずタバコを吸うのだった。

「それで成り立つなら仕方ないか。何でもゲームにしないと成り立たないという考えには反対だけどね。その辺のことは今度社長にも言っておかないとなぁ」

 そう言ってワタベは煙を吐き出しながら、窓の外を見た。夜の7時近くだったがまだ外は明るかった。大きな木と、緑の芝生の庭が見えた。

「ゴルフ場はどんな感じ?」

 シンジはデザインされた3次元のモデルを空間に表示した。ゴルフは今までに数度しかしたことが無かったが、基本計画を任されていた。基本計画が出来た段階で、ゴルフコースの設計の専門家が加わることになっている。それまでは、シンジがいかに素人であろうと、自由に巨大なゴルフコースを設計することが出来た。

 会社が使っている人工知能にはいくつか種類があったが、シンジたちが使っているのは3次元のデザインに特化されているものだった。その性能は飛躍的に向上して、今では誰もが作りたいもののイメージや、言葉、条件などを教えれば、人工知能がリサーチと無数のアウトプットを提案してくれた。ワタベとシンジは、作りたいもののイメージと条件を人工知能に伝え、出て来る無数の選択肢から決定した。細部に至っては仮想現実の中で実際に自分の身体を動かして作業をしながら、その空間を作ることも出来るのだった。

 人工知能が進化して、今やシンジたちがしている仕事は実は誰でも出来てしまうものだった。しかし、誰もが出来るのと、実際に大きなプロジェクトでそのポジションに就くのは違う話だった。ワタベもシンジも、この仕事に就くまでにそれなりの紆余曲折を経て来ていたのだった。

「まあこんなものかな。とりあえず大きさが合っていれば良いや」ワタベもゴルフに関しては素人なので、あまり分かっていない。

「それと、カジノの図面が出来て来たけど、どうしてこんなに見づらい図面を描くんだろう?」

 カジノは他のデザイン会社が担当していた。派手な色が使われていて、大量にコピペされた机と椅子がフロア全体に散らばっていた。この図面を描いた人は、とにかく何も描かれていない空間を埋めることで、図面の完成度が上がると考えているのだろう。

「本人的には見やすくしているつもりじゃないですかね」

「センスがないよね。あいつらデザインのことなんて何も分かっていないんだから、早く我々が主導権を取らないとなぁ。あと、お化け屋敷はね」嬉しそうにワタベは言った。「ものすごく怖くなりそうだよ。子供は泣いちゃうだろうな。トラウマにならなければ良いけど」

 ワタベが空中に表示した3次元のモデルは、巨大な迷路になっていて、そこにお化けが潜んでいるというものだった。

「迷路はもっと難しくした方が良いかも知れないね。迷いながら、お化けに追いかけられるんだ」

 お化け屋敷は大きな古いお屋敷と、広大な庭園にある巨大な迷路から成り立っていた。基本的な設計をワタベとシンジがやり、あとはグラフィックデザインの会社が担当することになっている。

「赤い橋はどうなったかな?」

「こんな感じです」

 シンジはほぼ出来ている3次元のイメージを表示させた。中国風の赤い、小さな木の橋がワタベの要望だった。

「そうそうこんな感じ。この赤い橋が水面に映って、その下をボートで通り抜けるんだよ。なかなか良いでしょう」

 ワタベは、自分の個人的な思い出でこのプロジェクトを作る傾向があった。この赤い橋も、彼が行ったことがあるベトナムかどこかの池の橋だった。

 スポーツ、ギャンブル、ホラー、アトラクション。仮想現実でも、やはりそういうものが結局人を集めるのだった。

「ゴーカートのコースも、次までによろしく」

 そう言ってワタベは打ち合わせを終わらせた。彼の仕事はそろそろ終わりだろう。シンジの1日は始まったばかりだった。シンジはまたキッチンへ行ってコーヒーを淹れた。

 3次元の空間を設計していると、仕事をしていない時もその空間にいるように感じることがあった。テレビのチャンネルを変えるように、自分の脳の中が、さっきまで作業していた空間に切り替わるのだった。ある3次元の空間で過ごしていれば、脳がそれに慣れて、しばらく引きずられるのは自然なことだとシンジは思った。

 仕事と割り切ってしまうべきなのだが、時々自分は何をしているのだろうと思うことがあった。この現実世界の広大な空間の中で、人の視覚や聴覚をジャックして、檻に入れてしまっているように感じることがあった。この現実ですらどうなっているか分からないのに、視覚的にもう1つの現実を作ったり、この現実にフィルターを掛けてしまうことは良いことなのだろうかとシンジは考えた。

「良し悪しは別として、人間はある技術を手にするとそれを使ってみたくなるのよ。歴史上、ずっとそうだったじゃない?」ミカは言った。「本当はそんなものなんか使わない方が良いとは思うけど」

「こういうものを使うと、今度はそれがないと何か物足りないように感じてしまうんだ。昔の人だったら、こんなものがなくてもこの世界と向き合って、それで良かったと思うよ」

「いろんな現実に似せた世界があって、そこで遊ぶのは楽しいからよ。それにいろんな情報が得られるから。それだけのことよ」

 すでにこの世界では、仮想現実の中で人と会って話したり、人工知能と話して良いアイデアを聞くのは普通のことだった。そこで起こったいくつかの問題、例えば人工知能とのコミュニケーション依存や、ゲーム依存、ギャンブル中毒は、ずっと昔から存在しているお馴染みのものだった。

 現実世界の重大な問題と比べれば、それらのことは些細に思えた。地球環境の破壊や汚染は進み、解決するための技術の多くは有効に使われていなかった。

 プロジェクトが始まってから、シンジはこの現実について何か今まで感じたことのない小さなズレのようなものを感じ始めた。仮想現実とは違い、この世界で自分は身体を持ち、痛みを感じ、実感を伴って生きている。しかしそれでも、何か仮想現実の中にいるような感じがすることがあるのだった。実体を持って僕たちはこの世界で生きているけれど、この世界は一体どうなっているのかとシンジは考えていた。

 ある日、シンジとミカは理論物理学の映像を観ていた。男の声で、ナレーションが言った。

「究極的には、この世界は原子で出来ています。その原子もさらに小さくすると、素粒子で出来ています。その素粒子は、振動するヒモまたは膜だというのが現代物理学の理論です」

 この世界が究極的には振動するヒモまたは膜だとして、どうして世界はこのような現実を形作り、そこで僕たちは生きているのだろうか。この世界は、実は思っている以上に複雑で、見えていないものが沢山あるのだろうとシンジは思った。

「その空間は非常に小さいために、私たちは認識することが出来ません。それはこの空間に小さく小さく折り畳まれていて、しかも偏在しているのです。そしてこの現実の世界も、実はシミュレーション、つまり仮想の現実なのだと主張する物理学者もいます」

 僕たちはこの世界で実体を持って生きているが、もしそれが仮想現実だとしたら、それは何のためなのだろう?僕たちがこの世界で経験している全てには、一体意味があるのだろうか?僕たちはこの世界で生き、思考し、様々な感情や痛みを経験する。その全てには、何か意味があるのだろうか?それとも、ただ無意味にこの世界を経験し続けているのだろうか。

「何か意味はあると思うわ」ミカは言った。「ただ無意味に経験しているなんて、バカげているもの」

「こんなことを言うと変かも知れないけど、僕はこの世界で経験する全てが、データのようにどこかへ送られているような気がするんだ。経験というのは何かをすることだけじゃなくて、思ったり、考えたり、感情。そういうもの全てさ。それが脳で変換されて、どこかへ送られているような気がするんだ」

「どこに送られているのかしら?何のために?」

「データとして送られているから、この物体とは違う次元だろうね。何のためにかと思うけど、神様がいるとしたらそうして遊んでいるんじゃないかな。たぶん全ての経験を神様は欲しているんだよ。そして自分が造った世界を隅々まで経験しているんだ」

「もしそれが究極的な姿だとしても、私たちはこの現実の世界で生きなければならないのよ」

 たしかに、全ての経験のデータが送られていたとしても、それはどうしようもないことだった。ただ、シンジは知りたかった。この世界が本当はどのような仕組みになっているのかを。

「もっとグラウンディングした方が良いわ。ちゃんと地に足を付けて、この現実を生きるの。仕事の影響もあるんじゃないかしら。ああいう仕事をずっとしていると、そんな風に感じるのよ」

「そうかも知れないね」

 シンジはミカに同意しながら、この世界が実体を伴いながら1つのシミュレーションとして動いているような感覚が拭い去れなかった。この世界は壮大で、神秘的なフィクションとして成り立っているように感じていた。

 ある日、シンジはチャットをしていた。統治機構の中で莫大な予算を掛けて作られたという噂の仮想現実と人工知能についてのチャット部屋だった。現実に、統治機構は人工知能と仮想現実の研究をしていたし、予算も桁違いだった。それなりに情報公開もされていて、実際に行くことが出来る施設も多かった。

 しかしその中でも、数年前から噂されているあるプログラムがあった。それは今までの仮想現実よりずっと進化していて、別次元のものだという。そのシステムの人工知能は、とんでもないレベルに達しているということだった。

 今まで何度も、そのプログラムと言われるものが現れたが全部偽物だった。シンジは今までに何度もその幻の装置を探し、幾度かはお金を払って入手したこともあった。だが、そのどれもが偽物だったこともあって、もう何の期待もしていなかった。ただそこに流れる文字を目で追っていた。

 新たな1人の参加者が現れた。その参加者はおもむろに3次元の地図を空中に表示させた。地図にはピンが刺さっていて、どこかの熱帯の海と山だった。海と山の距離は割合近く、ビーチには小さな町があった。そこから山の裾野に掛けていくつか建物があった。匿名の人物は、〈 Dimension(次元)〉と書き残すと、そこから居なくなった。

 シンジはその場所が気になって調べると、それはある熱帯の国の海沿いの小さな町だった。ビーチがあり、海沿いにレストランやバーが並んでいる。小さな市街地があり、しばらく行くと山の裾野に統治機構の施設があった。そこはセクションDと呼ばれ、人工知能と仮想現実の施設だった。だが、統治機構のそのような施設は世界中に何百とあって、ネットでもそれなりの情報が載っている。

 シンジはそのビーチも施設も知らなかったが、ビーチの小さな町はそれなりに知られていて、旅行者も多いようだった。だが統治機構の施設については全然知られていなかった。そこには基地局もあるのだが、利用出来るのは統治機構の関係者に限定されている。町にはレストラン、バー、カフェ、ホテルなどがあった。

 それからセクションDについて調べるうちに、そこにある知り合いの名前を見つけた。それはクリスという元同僚のプログラマーで、前の会社でシンジと一緒に働いていたのだった。一緒に働いた期間は2年ほどだったが、その後に2人ともその会社を辞めてから連絡を取ったことはなかった。

 シンジはクリスにメールを書いた。セクションDについて調べているうちに、偶然クリスの名前を見つけたこと、プロジェクトに興味を持っていること、現在の仕事のことを書いて返信を待った。

https://hirotoaoyagi.com/novel/

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